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2019年9月11日 (水)

◆1973年から2019年まで--退職して10年

■現在,僕は労働運動の分野では出版労連・出版情報関連ユニオン京都支部の事務局次長を担当しています。労働相談があったときには団交に出ることになりますので,何か肩書きがあった方が良いという関係です。京都支部の会計帳簿,現金の管理などもしています。60歳で定年退職して,もうすぐ10年になり,正式には,出版情報関連ユニオン関西サポート支部の所属となっています。

■今から46年前の1973年に僕が文英堂に入社したとき,職場には,京都印刷出版産業労働組合文英堂分会という労働組合がありました。上部団体は,全印総連京都地連になる前の京印労連でした。入社する前には,文英堂に労働組合があるかどうか,分かりませんでしたが,入社してすぐに組合加入の誘いがあり,同期の5人とともに加入しました。その年の12月の年末一時金闘争のときに,初めて,「社前ビラまき」ということをして,「公然化」した訳です。そのときから,職場では労働組合はいつも少数派でした。会社の労働組合敵視政策が強力だったからだと思います。

■その後,文英堂分会の書記長などをしていましたが,1979年頃から会社が職能給賃金体系を導入しようとして,元々悪かった労使関係がさらに悪化しました。当時,文英堂の東京支社には出版労連・文英堂労働組合という単組があり,職能給反対闘争の闘い方についてともに議論をしていく中で,京都の分会では,出版労連に加盟して東京の組合と組織を統一して闘うという意見が多数となり,京印労連・印刷出版労組の執行委員会と意見が対立するようになりました。

■京印労連とは何回も話し合いを行いましたが,結局1981年に文英堂分会の大多数が印刷出版労組を脱退しました。その結果,当時の分会三役の4名(今は亡きNさんのほか,Kさん,Yさん,吉田)が除名処分となりました。新しい文英堂労組は,職能給の白紙撤回を要求して闘ったので,行き詰まった会社は,1985年の春闘要求に対して職能給を回答して,これを飲まなければ,賃上げも春闘解決もないという態度に出てきました。春闘は翌1986年になっても解決せず,争議状態が続く中,会社は新しくヤクザみたいな労務担当重役を入社させて,団交拒否をつづけ(団交拒否事件),短時間のストライキに対して全日の就労を拒否したり(ロックアウト,就労拒否事件),こうした不当労働行為のなかで,1987年には職能給を強行実施しました。当時,僕は出版労連の中央執行委員(初代の京都地協議長)を担当していましたが,やがて,単組の委員長,書記長に専念するようになりました。

■その後,会社との間で法廷闘争が始まります。出版労連本部から京都第一法律事務所を紹介してもらいました。弁護団は,今は亡き稲村五男弁護士を中心に,若い黛千恵子(現在は福井のあすわ法律事務所),浅野則明,荒川英幸弁護士でした。法律事務所にたくさんの書類を持っていくために,1989年,40歳にして車の免許をとって,車通勤を始めました(新車を購入(^o^)。仕事と組合活動の中で,自動車学校にまで行くのは大変でしたが。その頃,「使い捨て時代を考える会」に入っていて,三重県の方の会の農場に行くにも,車の方がはるかに便利であったこともあります。

■また,法廷に出す準備書面をつくるにも,弁護士の指示を受けて訂正する場合,最初はハサミとノリで切り貼りしていましたが,とても大変。そこで,NEC9801VX2というパソコンとプリンタとディスプレイ,ソフトは一太郎Ver3(1987年発売なので一式を購入したのは1988年ごろか…以来,一太郎を愛用)を大阪の日本橋にでかけて購入しました。パソコンもプリンタも素晴らしい道具で,のめり込みました。全部で50万円くらいだったか,一時金をつぎこみました。それだけの一時金があったのは恵まれていたと言えますが,出版労連の教材共闘各社の中では,賃上げも一時金もいつも最低クラスでした。会社もほどほど儲けていたにもかかわらず,「将来に備える」と言って労働者にはまわさず,一族の子会社で不動産を増やしていました。編集部にPCが導入されたとき,DOSのバッチファイルでメニューをつくって,職場で喜んでもらえました。その後,編集者に1人1台ずつのPCを配置することになったとき,PCを使用できるか否かを問わず,まず管理職,課長から配置され,平社員の僕には配給されなかったので,自分でノートPCを買って会社に持っていって使いました。編集にも索引づくりにもかなり役立ちましたが,どのように役立っているのかは管理職には内緒にして明らかにせず,仕事の出来を見せるのはやや遅めにして,仕事中でも自由に使える時間を確保するようにしていました(「吉田はパソコンなんかを使って半分遊んでいるから仕事が遅い」と思われていた節があり,作戦が成功していると感じていました)。1999年には一太郎検定2級を取得しましたが,Word全盛の現在では社会的な価値はないと思われます。

■職能給の強行実施にともなって起こった団交拒否事件は,京都地労委,中労委,東京地裁,東京高裁,最高裁とすべて組合が勝訴し(典型的な労働事件5審制),1992年に会社はポストノーティスを命じられました。就労拒否事件は,不当労働行為訴訟では,京都地労委→京都地裁→大阪高裁のルートでポストノーティスを勝ち取りました(1992年)。就労拒否事件の民事訴訟では東京地裁の勝訴により,京都本社で強制執行を行って(1990年),会社からカットされた賃金を実力で取り戻しました。会社は東京高裁に控訴し,最高裁に上告しましたが,結局,上告棄却となりました(1991年)。1980年代後半からの法廷闘争が,ほぼ決着したのは1992年頃のことでした。職能給は強行実施されましたが,法廷闘争の勝利によって,組合員は,職能給を認めないまま,最後まで,格付辞令の返却,自己評価と自己申告の提出拒否を貫くことができました。

■しかし,同時に闘っていた組合員に対する昇進差別事件は,最後まで立証ができず,僕も30数年間,社会課の編集一筋で勤めてきましたが,平社員のままで定年退職しました。しかし,おもに担当してきた地理では “職人”になったと自負しています(2019年の現在まで旺文社など学習参考書出版社から毎年1件は地理の編集や校閲の仕事依頼があるのですが,文英堂からは一つの依頼も来たことがありません)。文英堂では,労働組合員は誰一人として,退職時に係長クラス(管理職でない最底辺の職位)にも昇進していませんでした。係長クラスでも,一年任命制といって,翌年には降格もあるという形で,組合からの脱退を誘う仕組みになっていました。実際,昇進して降格された組合員もいました。ある時,課長と一緒に仙台の凸版印刷に出張校正に行きましたが,宿は凸版が取ってくれて,支払いはこちらでするという形でした。会社から出る宿泊代は,課長と平社員とで異なっていて,課長はその枠内に収まりましたが,平社員の僕は赤字になってしまいました。宿の名前は,ホテルリッチでした。

■1992年頃に職能給反対闘争が終わってから,1998年には『文英堂労働組合の30年 そして明日へ』というB5判96ページの記念誌を編集しました。その頃,中央レベルで出版労連と全印総連の組織統一の話が始まり,出版労連京都地協と全印総連京都地連との間でも,除名処分をめぐる問題を解決しようという気運が高まりました。出版労連京都地協の議長(今は亡き京都書房労組出身のM氏)と全印総連京都地連のU委員長らの尽力があり,2002年に覚書を結んで,除名問題は実に20年ぶりに解決し,全印総連京都地連との関係改善を果たしました。しかし,長期の除名問題の間,全印総連京都地連との関係でラボール京都(労働労働者総合会館)には足が遠のいていました。

■2003年になると,出版労連と全印総連の中央レベルの組織統一の話は完全につぶれてしまい,文英堂労組や中央図書労組は,少数化もあり,2004年に個人加盟の出版労連・出版情報関連ユニオン京都支部に移行したので,文英堂労組という名称もなくなりました。こうした中で,京都における全印総連京都地連と出版労連京都地協の間の協力,共同関係は,2006年の「全京都印刷・出版関連労働者ネットワーク」(ネット会議)に結実し,ラボール京都では組合事務所も供用するなど,今日に至っています。

■同じ京都の中央図書出版社では,1982年の組合結成(出版労連加盟)からすぐに組合攻撃が始まり,組合員の親元訪問,尾行や脅迫,脱退工作が行われました。そして,1984年にはW委員長の労連大会での発言を捉えて不当解雇にいたりました。この解雇は,翌年の地労委勝利命令によって会社が撤回,職場復帰を勝ち取ることができました。しかし,その後も,社内勤務であった編集部組合員を長期の営業出張に出すなど,組合攻撃は継続,1988年には出版労連の定期大会が京都市内で開かれ,文英堂と中央図書の争議支援がとり組まれました。この法廷闘争も,京都第一法律事務所の弁護団(森川明弁護士ら)でした。しかし,中央図書の少人数の職場では新刊の発行が滞るなど,経営状態は悪化,その後,上京区の土地社屋を売却して南区に移ったりして再建を試みましたが,2014年に倒産しました。倒産後,元組合員の一人が自殺したほか,若かった組合員の人生は,会社の労働組合敵視と差別の中で大きくねじ曲げられたと感じています。

■先ほどの除名処分の件ですが,1981年当時の印刷出版労組の委員長は文英堂出身のMさんで,彼は,出版労連へは移らず,そのまま印刷出版労組に残りましたから,文英堂分会は,出版労連派と全印総連派の二つに分裂したわけです。現在,除名処分は組織上は解決していますが,個人的な関係は完全に修復したとは言えません。当時の状況で傷ついた仲間がいます。「人生には必ず終わりがあるわけだから,いつかは」と思いつつ,もうこれは修復困難だと思います。

■継続雇用は,極端に大幅な賃下げになることもありましたが,応募するつもりは,最初からさらさらありませんでした。僕は,文英堂経営が継続雇用の制度をつくり,労働組合員を受け入れることはあり得ないと思っていましたので,定年退職から年金が満額になる65歳までの生活費を計画的にたくわえて来ました(連れ合いの功績と努力は大)。そのおかげで,60歳から自由の身になることができました。しかし,その分のたくわえは65歳までにきれいに消えましたが。

■文英堂経営の実権は,僕が定年退職したすぐ後に,それまでの益井欽一氏(数々の労働組合敵視政策を重ねてきた社長,会長)から長男の益井英博氏に替わりました。しかし,英博氏は造本や配本で多額の負債を抱え込んだ模様で,しばらくして,その長男の益井英朗氏が社長になりました。無借金経営を誇っていた欽一氏の頃に比べて,経営の危機は深まったと思われます。

■社長になった英朗氏は,東京支社に会社の機能をうつす政策をすすめました。欽一氏は京都在住でしたが,英博氏と英朗氏はずっと東京在住でしたし,当時は東京支社労組も組合員がいなくなって自然消滅となっていたことも,東京移行をすすめる動機となったと思われます。

■英朗氏は,定年退職などにより京都本社からユニオンメンバーがほとんどいなくなると,労働者に,退職か,東京支社への単身赴任か,子会社の編集プロダクションへの移籍(大幅賃下げ)かを迫りました。こうした合理化にもかかわらず,この間,労働者は新たにユニオンに加入することはありませんでした(一人を除いて。その一人もやがて退社)。継続雇用になっていた極少数のユニオンメンバーも退職しました。こうして,労働者は散り散りになり,2018年までに京都の文英堂は,職場自体もほぼ消えてなくなりました。

■京都の文英堂は,2019年の今日,僕が定年退職した2009年とはまったく想像もつかない姿になって,消えてしまったわけです。出版情報関連ユニオン京都支部も,数名の規模になっています。

■2009年に定年退職して,2011年に福島第一原発の事故が起こりました。そして,大飯原発差止訴訟[京都地裁]の原告となり,現在は大飯原発差止訴訟の世話人会(事務局長)と,「原発の電気はいらない署名@関西」の毎月定例会議はレジメをつくり,進行と運営を担当しています。「原発うごかすな!実行委員会@関西・福井」は実務担当者会議に参加。毎年3/11メモリアル集会を開催する「バイバイ原発きょうと」では呼びかけ人と実行委員です(ただしこの会議は毎年9~3月頃のみ)。「電力会社の会計を考える会」にも参加(会計のことはほとんど分かっていませんが)。京都地裁の大飯原発差止訴訟のほか,伊方原発差止訴訟,名古屋地裁の老朽原発廃炉訴訟(高浜原発)は,原告になっています。名古屋への傍聴支援,大阪地裁・高裁の原発賠償訴訟(国と東電の責任追及)の傍聴支援,毎週金曜日の関電京都支店前の「キンカン」アピール行動,ときたま若狭での集会や申入行動やチラシ配布に参加するなど,時間も交通費もかかって貧乏暇なしです。しかし,文英堂時代に身につけたスキルやノウハウを脱原発の運動に生かすことができ,市民運動に長く携わってみえた先輩の皆さまに多少とも助けになることができれば,嬉しいと思っています。先日(2019/7/31)は車で福井県庁での申入に参加しましたが,福井市は,京都から行くと若狭よりも一段と遠い。若狭の原発から見ると,福井県庁よりも京都府庁の方が近いことを実感しました。

■以前は,文英堂労働組合のWebづくりに熱中していました。会社の不当労働行為や,不当な対応,賃金の状況などを余すところなく書きつくしました。個別の労組が情報を発信できるなんて,夢のようでした。これから出版社に就職しようと思っている学生で,文英堂労組のWebを見た優秀な人なら,文英堂に応募しようとは決して思わなかったでしょう。その後,ユニオンに移行してからもつくり続けました。しかし,退職して職場から離れると,うまく発信できなくなり,引き継いでくれる組合員もいなかったので,ユニオン京都のWebは中断しました。ただ,京都の風景と,いろいろな草花の写真をアップしたページは,今でも良くできていると思っています。なおこの頃は,Web作成ソフトの「ホームページビルダー」を使っていました。
 (京都→ http://www.syuppan.net/kyoto/kyoto-photo.htm
 (草花→ http://www.syuppan.net/kyoto/hana-photo.htm )

■2007年からは,出版情報関連ユニオンのメンバー限定のSNS「なかまネット」を立ち上げて,これは参加人数が少なくなってはいますが,現在も続いています。最初はSo-netの無料サーバを利用していたのですが,そのサービスが終了してしまった後は OpenPNE(ピーネ)というSNSのフリーソフトを,出版労連のサーバに自分でインストールして作成しました。最近,少し不具合があるのですが,もう,どうやって手を入れて良いのか,分からなくなっています(^ ^; 

■脱原発関係では,現在,以下の3件のWeb更新を行っています。これらはすべてWordPressを利用していて,以前使っていたホームページビルダーより使いやすくて重宝しています。WordPressは,京都脱原発原告団の世話人であるEさんから教えてもらって使い始めたものですが,ホームページビルダー時代のエディターの知識が役に立っています。下記のほかに,請負仕事で1件,Web更新を担当していますが,WordPressの利用を提案して採用してもらいました。

(1)京都脱原発原告団 Web
 (→ http://nonukes-kyoto.net/
(2)京都原発裁判支援ネット
 (→ https://houteisien.wordpress.com/
 ・裁判のスケジュール
 (→ https://houteisien.wordpress.com/schedule/
 ・京都の原発関係の運動
 (→ https://houteisien.wordpress.com/kyoto/
 ・「若狭の原発を考える会」より
 (→ https://houteisien.wordpress.com/wakasa/
(3)原発の電気はいらない署名@関西
 (→ https://syomeiweb.wordpress.com/
 ・「使い捨て時代を考える会」より
 (→ https://syomeiweb.wordpress.com/tukaisute/
 ・オンライン署名
 (→ https://goo.gl/eSMkLp

■また,文英堂の学習参考書で索引づくりをしていたデータをもとに,ワープロ(日本語変換システム)の単語ファイルを作成して,無料でVectorに公開しています。高校のもっとも詳しい学習参考書レベルの単語を収録したものです。ダウンロード数が最高なのは,日本史単語で,2002年に登録してからこの8/28までに,8727件のダウンロードがありました。地理関係は,日本地名,世界地名,地理用語の三つに分割していますが,総単語数は10000を超えています。おもに高校の先生方がご利用と思います。

例:お使いのPCの日本語変換単語ファイル(ATOKやMS-IME)に組み込めば,「いのうただたか」と入力→「伊能忠敬」,「よさのてっかん」→「与謝野鉄幹」,「かりやえきさい」→「狩谷棭斎」などと一発で変換できるようになります。
(組み込み方法は各単語ファイルに書き入れたと思うのですが,記憶が定かではありません。すみませんが,それぞれお調べください)

(1)ATOK用「日本史単語6812」→NI6812.LZH
概要:高等学校日本史Bの最上級の日本史辞書ができる単語ファイル
ダウンロード数…8727(2019/8/28現在,以下同)
 (→ https://www.vector.co.jp/soft/win95/edu/se247106.html
(2)日本地名6580 →j-timei.lzh
概要:ATOKやMS-IMEに日本地名を登録する単語ファイル
ダウンロード数…1848
 (→ https://www.vector.co.jp/soft/data/writing/se363518.html
(3)世界地名1850 →w-timei.lzh
概要:ATOKやMS-IMEに世界地名を登録する単語ファイル
ダウンロード数…2052
 (→ https://www.vector.co.jp/soft/win95/edu/se363695.html
(4)地理用語3240 →tiri3240-2.lzh
概要:高校「地理B」対応の単語ファイル
ダウンロード数…3984
 (→ https://www.vector.co.jp/soft/winnt/edu/se361718.html

■2013年からは,デジタル版の「高校地理B」の学習参考書をつくりました。誰にも指図されずに,僕が自由に書いて,最後の本として生涯の記念にするつもり…大げさ\(^O^)/……昔,同じ職場の国語編集部の先輩Sさんが退職して,好きなように自分の国語の学参を書いたのと,意図は同じ。学習参考書の編集者というのは,自分の思いを入れた本を作ったことがないから(^ ^;;,領土問題,原発も書きたいように書きたい。というわけで,書名は,デジタル版『ハイパーテキスト地理B』…本文中のハイパーリンクが,紙の本にない使い勝手,勉強のしやすさを実現している,というのが,売りです。索引や目次が生きているという感じです。2013年からの高校新指導要領に対応し,センター試験対応の内容となっています。A4判の紙にプリントすると1000ページをこえる大部になりました。最初は,1冊500円でネットショップで販売していましたが,たいして売れませんでした(知人に押し売りした以外は)。電子書籍は,amazonでないと,部数は出ない可能性が高いと思います。しかし,amazonにはいろいろな問題があって,僕は好きでありません。現在は,単語ファイルと同様にVectorで無料配布しています。写真やセンター試験の問題も入れて,2018年4月版まで改定しました。しかし,2019年4月版は改定作業ができませんでした。まもなくセンター試験も終わるし,これで『ハイパーテキスト地理B』も終わりかもしれません。
Vectorのアドレスは
 (→ https://www.vector.co.jp/soft/winnt/edu/se513863.html
また,「ハイパーテキスト地理B--お勧め記事130」は
 (→ http://be-off.way-nifty.com/beoff/2018/04/b--130-7919.html

■定年退職して10年になるので,借りている畑も10年。無農薬,有機肥料のみで不耕起栽培。土もようやく軟らかくなりました。この10月には70歳になり,京都市の敬老パスをもらえる予定です。所得に応じた一時金で市営地下鉄,市バスが無料になります。京都市内での行動は身軽になるはずで,とても楽しみです。最近はISBNの付いていない古い本は古紙に出したり,あちこちの棚を占領している古いPCパーツをオークションに出したりして,持ち物を減らしています。しかし,一方で岩石と鉱物のコレクションが増えています(ただし貴重なものはありません!)。毎年,春は大阪,秋は京都のミネラルショー(石ふしぎ大発見展)が楽しみで,岩石や鉱物は見ていて飽きません。

Bun
(2019/9/13)

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