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2008年2月28日 (木)

「教科書労働者総決起集会in大阪」

 「教科書労働者総決起集会in大阪」(2008.2.29.)の案内メールをもらいました。

 文中では,参加呼びかけ対象者は,「教科書労働者」,「教科書に働くすべての労働者」,「教科書出版労組の仲間」といった表現になっています。そして,教科書共闘各単組,---労組,増進堂,京都書房,文英堂に連絡が回っています。増進堂,京都書房,文英堂とくると,“少しでも教科書を発行している会社で,労働組合があるところ,または組合員がいるところ”というのが,この呼びかけ対象の基準のようです。

 しかし,文英堂で働いている組合員としては,こうした基準で呼びかけられるには,少しなじみにくいものを感じます。

(1)「教科書労働者」に当てはまるか?

 文英堂では,おもに教科書に関わっている組合員はいません。編集で関わっている組合員はゼロ,営業部組合員でも年に2か月程度しか教科書にはタッチしません。メインの仕事は,高校での教材採用営業ですから,「教科書労働者」というイメージも自覚も持っておりません。

(2)「教科書に働くすべての労働者」に当てはまるか?

 文英堂は教科書をメインにしている出版社ではありませんから,「教科書に働く」という感じではありません。やはり「学習参考書に働く」という方が,ぴったりです。

(3)「教科書出版労組の仲間」に当てはまるか?

 「教科書出版労組」が「教科書を出版している会社の労組」という意味なら,旧文英堂労組,増進堂労組,京都書房労組は当てはまります。それで,旧文英堂労組にも案内が来るようになったと思われます。しかし,文英堂の場合,企業別組合は既になくて,現在の組合員は,出版情報関連ユニオン京都支部に所属しています。この個人加盟ユニオンは,「教科書出版労組」ではありませんから,当然,当てはまりません。

 このように考えてみると,文英堂で働いている組合員は,呼びかけられても,対象者として失格のようです。

 その上に,もっと広い意味でも,「職場で出版物としての教科書に関わっている労働者」という自覚,アイデンティティは,有していません。つまり「教科書労働者」という自覚がないという意味です。自分の仕事との直接の関わりの中で,教科書問題を捉えるような契機は,組合員のいる職場には存在していません。

 しかし,仕事面で「教科書労働者」という自覚がないからといって,出版労連が提起する教科書問題や教科書闘争に関心がないという意味ではありません。教科書闘争には,それなりの大きな関心はあって,それは,市民的な立場であったり,出版労連の組合員の一般的な立場に由来するという意味です。

 したがって,今回のような集会の場合,「教科書問題に関心のあるすべての出版労働者」に呼びかけるという形がもっとも望ましいと思われます。

 善意で解釈すれば,「教科書に少しでも関係のあるところ」に呼びかけるという意図とも読めるにせよ,別の見方では,「教科書会社とか,教科書の編集や営業に関係する労働者」に限定して呼びかけているようにみえてしまっているからです。その結果,呼びかけられた方も,自分が,「設定された枠内に当てはまるか,どうか」考えてしまうような事態に陥ってしまいます。

 一般的な出版労連の組合員の立場から,誰でも(個人加盟ユニオンの組合員でも),参加できるような形の教科書闘争なり教科書運動は,とくに求められていると思います。出版労連の教科書闘争は,教科書共闘の共闘委にだけ集約されているものではないはずです。そういう観点から,最近の「教科書交流会議」ももたれているのでしょうし,今回のような決起集会も設定されているのでしょうが,その意図が,教科書会社およびその会社ごとの労働組合(教科書会社とその企業別組合)という枠内に閉じこめられている結果,ユニオン組合員がだれでも素直に参加するという状態にはなっていないと思われます。

 教科書とは関係していない個人加盟ユニオン組合員でも,教科書問題に関心をもって関わっていくことが可能になるような集会の設定であってほしいと思います。春闘の課題も,教科書共闘としては重要かも知れませんが,共闘に加盟していない立場から聞いていると,経過も不明ですし,統一交渉をめぐる報告など,ほとんど意味が理解できません。

 教科書闘争は,東京中心の労連,教科書共闘の共闘委が中心にならざるを得ない状況であることはよく理解できます。その結果,京都地協のような地方では,「教科書ネット21」のような市民運動に関わって運動の盛り上げ役を果たしているというのが実情で,「出版労働者が中心となって」ということには,力量の上から無理で,それは,ある意味でし方がないのかも知れません。が,せっかく関西で,教科書問題に関して労連が関係して集会を設定するときは,すべての関心のある労連組合員が,参加資格を考えないで参加できるようにしたほうがいいと思いました。

 そういう場合,教科書共闘の統一交渉,春闘交渉などの話は最小限に止めていかないと,聞かされる方は訳が分からずたまりません。関心の対象でもないからです。関心の対象は教科書であって,教科書共闘の賃金ではないからです。もし,教科書労働者の賃金と絡めて集会にしたいというなら,定価問題とか,もっと社会性のある提起や議論を中心にすべきだと思います。

 教科書闘争を教科書共闘内におさめておくのなら,何も言うことはありませんが,教科書闘争を教科書共闘の外にも広めていくというような方針だとすると,教科書共闘の春闘の扱いは,もっと考える(小さくしていく)必要があると思っています。春闘は春闘で,教科書共闘内部だけで,じっくり議論し,決起したら,そのほうがずっといいじゃないでしょうか。

 

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