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2007年1月22日 (月)

見せ物のディベート

 ディベート(競技的議論)は見せ物として相手をやっつけ,ディスカス(討論)は実質的に討議することで,そこが違うと言われています。

(1)
議論の目的が命題の検証ではなく,議論に勝つことである(たとえ,自分の意見が間違っていて相手が正しいと思えた場合でも) 相手からの指摘が的を射ていたとしても,それに納得して自分の意見や立場を変えることが認めらない。
(2)
討論の基本である自己修正の態度をことごとく退けられる。
(3)
自分の間違いが発覚しても平気で嘘を突き通すことを強要される。
(4)
どんなに相手の意見が核心を突いていても反論し続けなければならないので,論点をそらしたり揚げ足取りの話術に終始し勝ちになる 。
(5)
肯定側と否定側が,互いの価値観の折り合いをつけられる部分を模索
する余地(例えば,双方が歩み寄れる譲歩点を見出だすこと)がない。
(6)
自分たちに不利な情報は矮小化し,有利な情報は誇張して宣伝するような態度を身につけてしまう。
(7)
物事には肯定か否定かのどちらかの立場しかないかのような考え方を身につけてしまう。
(8)
どんなテーマでも,弁舌のうまさ一つで肯定することも否定することも自由にできてしまうかのような印象を与えてしまう。
(9)
本人の意志を尊重せずに肯定側や否定側を強制的に演じさせることは 人格の軽視であり,「思想の商品化」につながる。どうして自分の主張でないことを言わなければいけないのだろう。
(10)
とにかく自分の意見が,相手の意見より正しい(強い)と認めさせるために非難,攻撃もいとわない態度をよしとする。
(11)
アメリカのディベートは,詭弁論法への熟達や,その場で言い負かせば良いのだというような実利性を重視し,「論理性」と反対のモメントへと向かう傾向がある。このような詭弁的なディベートの興隆は,訴訟社会としての米国というような,社会学的に異常な事態と表裏の関係を成している。裁判官の前で,役者の弁護士が熱弁をふるって,クライアントの主張を擁護し,相手を徹底的にやっつける技能=ディベート。

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